お金はいくら稼げても、時間は稼げない。
でも実際は時間はいくらでも稼げる方法はある。
お金をたくさん稼いで、
そのお金で他人の時間を対価として支払って
時間を作ることはできるし、
それは双方にとっていいことだと思う。
所謂、ビジネスとして成り立つことだから、お金さえあれば、
正直、自由時間も健康維持も非日常体験もなんだって叶えることができる。
お金じゃ全ては叶えられない。
そう思うことはあるけど、友情とか愛情とかはお金じゃ買えないのは確か。
でも、実際に、大事な友人が入院したとか両親が身体的に困っていて、助けたい!って思った時、そこの場所に行くにしてもお金。
家族を介護するにしても、消耗品代や備品費だけじゃなく、労働収入として時間がなくなるわけだから、結局お金にたどり着く。
実際、綺麗事じゃなく、お金で叶えられないものはほぼない。
ちょっと前置きが長くなってしまったけど、
お金(対価)は全ての扉(入口)になっていて、
あらゆる扉は時間という概念にたどり着いていると思う。
もし、時間という概念がなかったとしても、
嬉しいとか楽しいとか悔しいとか悲しいとか辛いとか痛いとか、
人は感じ取ることができる。
その感情が、
今感じたり、過去を振り返ったり、未来を感じたりするキッカケとなる。
だから、義務教育とか科学的進歩、西洋学で時間の概念が常識になっているけど、
本当は時間そのものは存在しないと思う。
『人間が宇宙と名づけた世界』が存在している以上はエネルギーが存在している。
それらのエネルギーはエネルギーとして存在する以上、
何らかの動きがあって存在している。
そうなると、人間の視覚で判断できないだけで、
元素レベルでそれぞれがエネルギーを動かしたり、くっつけたり、置換し合っている。
その一つが、僕らの生命の源で、人間となって、細胞レベルで動き出して、
『人間が感情と名づけたもの』として表現できるようになっている。
つまり、時間で人間が動いているとか、判断しているとかじゃなくて、
何らかのエネルギーで僕らが成り立っている。
分かりやすく言うと、
それらが感情、オーラ、パッション、やる気っていう風に、
誰しもが、他人を判断する時に自然とやっている行為に繋がっている。
その瞬間に感じた感情は
その瞬間に生まれた物じゃなくて、
顕在意識で感じたことがなかっただけで、
潜在的にカラダの中に秘めていたエネルギーだ。
そのエネルギーは『人間が言語化した過去』の影響で、今に繋がっている。
って普通は考えがちだけど、
それは、『時間の存在』を意識しているからだ。そう思うだけ。
本当はね、
人間が言語化した未来というものが、
今とリンクしているから未来を想像できるし、
未来が不安だと感じることも、明るいということも理解できる。
過去を考えても全く同じことが言える。
過去の経験だけじゃなく、そこに対する想いとか感情も、
今思い返せばいくらだって出てくる。
これは時間が存在して僕らが存在しているんじゃなくて、
エネルギーが存在して、それを僕らが感じて多種多様なエネルギーを動かしているっていう証拠。
だから、時間そのものは存在しない。
時間のためにお金を稼ぐって考えがちだけど、
そうじゃない。
時間もお金も本質じゃない。
世の中に存在する全てのエネルギーが
僕らの感情の一つであり、
人間は、その感情のために、あらゆるエネルギーを投じている。