病院で働く僕が、WEBで成功し続けるまで

実践したい人をサポートしたい!0→1ブログ

配慮はしても遠慮はしない。信念を持たない『慮』は誰のためにもならない。

配慮はしても、遠慮はしない。

 

 

この半年間、特に強く思っていることだ。

 

誰かの名言から考えたものでもない、

自然とこんな考え方に至った。

 

 

どんな人でも、

家族や大切な友人、ビジネス上のパートナー、生活圏のつながり

で生きていると思う。

いわゆる、血縁、社縁、地縁っていうやつだ。

 

 

人って、この3つの縁に対して

全く同じ顔をもっているわけじゃなく、

 

家族なら家族にしか見せられない姿、

ビジネス上での立ち振る舞いや行動、

町内会や保護者同士での姿とか

それぞれの暮らしでつながっている時の姿がある。

 

 

家庭ではありのままの姿で、

ビジネス上はバリバリの姿、

あとは人間関係に応じて近しかったり、それなりの関係だったりする。

 

 

そうやって、それぞれのコミュニティで

自然とバランスをとっているから、

日々の暮らしが成り立っていると思う。

 

 

人って生存本能のせいか

自分自身にストレスをかけたくないし

面倒くさいことはしたくないから、

必然的にバランスをとろうとする。

 

 

だから、初対面の人と話すのも嫌がるし、

大勢の人の前で一番最初に

発言しようとはしないんだと思う。

 

 

つまりね、

本当は誰しも欲深くて、

思い通りにしたいのに、

 

相手に

面倒くさい人間だと思われたり、

嫌われたりしたくないから、

 

ついつい遠慮する。

 

 

相手への配慮だと思いつつ、

本当は自分自身を守るために遠慮してる。

 

 

だから、

直接、相手に言えば解決するものを

間接的に、相手のそばにいる人へ相談してる。

 

 

それって、配慮じゃなくて、

完全に自分自身を守るためでしょ??

 

 

自分の考えが合っていることを確かめたくて、

本人へ言わずに、間接的に周りを固めて

安心したくてやってるんでしょ?

って思う。

 

 

そういう遠慮は、

日本独特の文化だから悪いことじゃないとは思う。

 

 

だけど、

それは結局、

自分自身のための配慮をしているだけで、

何にもならない遠慮もしているだけ。

 

 

一概には言えないけど、

いつも悩んでいる人は、

そんなことに労力を使ってると思う。

 

 

例えばね、

家族が本気で悩んでいる時、

どこまで本気で一緒に解決しようとする?

 

 

きっと、一緒に解決しようとするよね。

その時って、家族のためを想って

本気で考えをぶつけてみたり、

家族の気持ちを尊重して配慮すると思う。

 

 

どうして家族にはこれができるのか。

 

 

当然だけど、血のつながりがあるから。

お金とか何かの縁で繋がってるわけじゃなくて、

何があっても繋がってる存在だから

本気でぶつかることができるんだと思う。

 

 

 

コロナの影響もあってか、いまだに

人間関係って薄くなった感じは否めない。

 

 

それでも、この世の中で

配慮はしても遠慮はしないこと

は、僕らが子供を育てて、

その子供たちが親になって、

それを何世代も繰り返していくには

 

AIツールとか仮想空間では絶対に学べない。

 

 

どんなに時代が変わろうとも、

信念を持った行動っていうのは

大事な人には必ず伝わるし、

初対面の人でさえ、感じ取ることができるもの。

 

 

冒頭で、

配慮はしても遠慮はいらない

って言ったけど、

 

 

もっと言うと、

普通の『配慮はしても遠慮はいらない』のままだと

何も変わらない、差し障りのない

ただの『良い人』止まりな人生となってしまう。

 

 

実は、ほぼみんながこの状態だから

誰かに流される人生となってしまい、

ある時、あれをやっておけばよかったな、とか

あれをしなきゃよかったな。ってなる。

 

 

どうしても、守りの人生を優先してしまっている。

やっぱりそれが人間だから。

 

 

 

それでも、

本当に相手のための『慮』を考えるなら、

 

相手のために配慮も遠慮もせず、

相手のための配慮も遠慮もする。

 

 

わかるかな??

 

 

これって、言葉だけじゃ難しいんだけど

信念をもった『慮』が、

自分の行動全ての自信に繋がるし、

自分で自分の行動の責任を自覚できるようになる。

 

 

それに、

自分に『運』をもたらしてくれるし

血縁、社縁、地縁にも、長い目でみるといい影響を与えてくれる。

 

 

これが、僕のこの半年間、強く思っていることだ。

 

 

この考え方は、

さらに半年後の僕が

今の僕をみた時に、

何に悩んでいるのか

どうしたらよいのか

どうすべきなのか、

 

そういう想像力と行動力を沸き立てて実現してくれる。